ホンダ開発者に聞く、SDVの可能性と課題。

本田技研工業(株)
BEV開発センター
ソフトウェアデファインドモビリティー開発統括部
電子プラットフォーム開発部 部長
エグゼクティブチーフエンジニア
久木 隆 氏

オートモーディブワールド 事務局 RX Japan
2023年9月7日

10月に開催される「 第6回 名古屋オートモーティブ ワールド ー クルマの先端技術展」。今回同展で「SDV時代の車開発」と題して講演をされる、本田技研工業(株)BEV開発センター ソフトウェアデファインドモビリティー開発統括部 電子プラットフォーム開発部 部長 エグゼクティブチーフエンジニアの久木 隆氏のインタビューをお届けします。ソフトウェアが自動車の進化を牽引するSDV時代に、「SDVが今後自動車にどのような価値を提供していくのか」、そして「現在の課題とは何か?」など、興味深いお話をたくさんお聞きしました。

クルマに関わるきっかけは?

ー まず最初に、久木さんの技術者としての原点や、ものづくりに興味を持たれたきっかけをお聞かせいただけますか。

久木:私自身、もともとスーパーカー世代と言われる世代で、そういう世界が好きだったというのがあります。小学校の頃に『サーキットの狼』という漫画が流行っていたんですが、漫画を通してランボルギーニやフェラーリやポルシェのような実在する車種に触れた影響もあると思います。
ただ実際、18歳で運転免許をとり運転をするようになって思ったのは、「いつでも自分の行きたいところに行くことができる自動車は素晴らしい」ということでした。そして就職を決める時になって、自分の性格から考えて好きなことに関連したものでないと長続きしないだろうと思い自動車会社を選びました。

ー ものづくりが好きというよりは、クルマ自体が好きで自動車業界の道を志されたのですね。

久木:そうですね。大学で勉強していたのは電気工学だったので、周りは電機会社に就職する人が多かったんですが、自分は自動車業界に入りました。でも、実際に配属された部署はエンジンの制御コンピューターを開発する部署で、やっていることはクルマとは遠い部署だったんですけどね。

ー 自動車メーカーさんの中でもホンダさんを選んだのはなぜですか。

久木:80年代のホンダ車は、僕から見てすごくかっこよかったんですよ。特にシビックが好きでした。こういうクルマをつくる会社はちょっと他とは違うんだろうなと思ったのが選んだ理由です。
 

失敗しても怒られないホンダの社風

ー 久木さんが影響を受けた人や師匠のような方はいらっしゃいますか。

久木:ホンダには変わった人がいっぱいいたので、いろんな面で勉強にはなりましたけど、特定の人というよりは、失敗しても怒られない会社の文化みたいなものにすごく影響を受けました。怒っている暇があったらお客様に迷惑をかけないよう早く対策を進めようという考え方なので、そうすると失敗を隠す必要がなくなって、むしろ早く報告して改善していく方に力を注ぐようになりますよね。ホンダにはそういう文化があって、そこから学んだことは大きかったですね。

ー ホンダさん独特の文化なのかもしれませんね。自分自身の意見を持っていてちょっと尖っている、みたいな人がたくさんいそうなイメージです。

久木:ボトムアップの文化なんですよね。上からこうしろ、ああしろと言うのが少ない分、自分たちで考えて提案していくという。
 

クルマは人命に関わる製品。とにかく安全なものを

ー 久木さんが、最初のキャリアで任された具体的なお仕事内容についてもお聞かせいただけますか。

久木:最初に担当したのは、法規対応なんです。私は90年に入社したんですが、94年モデルからアメリカでOBDⅡ法規というのが法規化されるのが決まっていて、そのための開発を担当しました。

ー その法規の内容は、どういったものだったのでしょうか。

久木:何らかの理由で排ガスを浄化する装置が正常に作動しなくなった場合に、故障を検知しドライバーに知らせるというものです。94年以前も故障したら警告灯をつけるよう要求されてはいたんですが、たとえば排ガスを浄化する触媒が劣化したらそれを検知しなくてはならないとか、完全に壊れてはいないけれど少し劣化していたり性能が落ちていることも検知しなければならないように厳しくなったんですね。
開発の中では結構地味な仕事に思えるかもしれないですが、エンジン制御の基本に立ち返っていろんなことを学ぶことができた良い経験でした。

ー これまでプロジェクトを遂行する中で苦労されたことはありますか。

久木:入社3年目に失火検知というシステムを担当した時は苦労しましたね。
失火というのは、正常に火花が飛ばないことや燃料が燃えないことをいうんですが、正常と異常の区別をしなければいけないということで開発を進めていました。基本原理を確立するところまではおもしろかったんですが、イオン電流式というちょっと特殊なシステムの開発だったので、量産するまでの間には製品としての環境や耐久性を実現するためのいろんな問題が起きてしまいました。それを一つ一つ対策していくのは、当時の自分にはすごくプレッシャーでしたね。

ー 現在の部署に至るまでに、どのようなプロジェクトをご担当されてきたのでしょうか。その中で特に印象に残った出来事やプロジェクトがあれば併せてお聞かせください。

久木:入社して最初の15年は、ずっとエンジンのECU開発を担当していました。
話すと長くなってしまうんですが、現在では、シフトインターロックというシステムによってATではブレーキを踏まないとドライブに入らないようになっています。しかし、当時はそのような安全装置が導入されていく過渡期でした。地域によってはまだ装備されていなかったので、ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えるという事故が社会全体として起きていました。当時韓国にホンダがライセンスを供与して生産していたクルマがあったんです。そのクルマでも急発進事故が起きたので、その対応で車両の問題なのかドライバーの操作ミスかを調査するために韓国に行きお役所立会いの試験をいろいろと行なった経験があります。検証の結果、幸いにもクルマに問題は無かったのですが、怪我をされた方もいらして、我々が作っている製品は、本当に人の命に関わるものなのだということを肌で実感した経験でした。

ー 初期のキャリアから、人命に近い最前線のところで経験を積まれてきたのですね。

久木  事故を起こされた方の中には孫娘さんを轢いてしまったお婆さんもいらっしゃって…。本当に肝に銘じました。
とにかく安全なものをつくっていかなくてはいけないということを強く学びましたね。
 

制御系システム開発からインフォテイメントの開発へ

ー その後はどのようなプロジェクトに関わられてきたのでしょうか。

久木:その後は立場が少しずつ変わるにしたがって担当する範囲も広がっていきましたが、基本的には制御系のシステムをずっとみていました。制御対象がエンジンからトランスミッションになったり、ステアリングやブレーキも増えましたが、安全性、信頼性を作りこんでいくという意味で共通なところが多かったですね。
ところが2019年に、北米の開発センターに異動することになったんです。そこでは、車両全体のエレクトロニクスとインテリアの担当になったんですが、そこの開発に関わったことは、これまでの制御系とはまったく違うという意味で非常にいい経験になりました。
また商品開発の評価会のようなところにも出席する立場になり、商品の開発を通して企画から生産までのプロセスを経験できたことは、今担当しているプロジェクトにもつながっていると思います。制御系のECU担当だけでは全体を理解できていなかったと思うので、ボディエレクトロニクスやインフォテイメントやADASなど生産に関わるプロセスを俯瞰して見ることができるようになったのはここでの経験のおかげだと思っています。

ー 北米に渡られてガラッと領域が広がったのですね。インフォテイメントの開発というのは、今までの安全制御の部署とはある意味正反対の部署ということで、やはり刺激的でしたか。

久木:そうですね。どちらかというと制御系のシステムは設計で全部抑えて基本的にはその通りに実現できているかどうかを検証していくスタイルですが、インフォテイメントの場合は、アンドロイドOSにしてもそれは買ってきたものですし、中身がすべてホワイトボックスになっているわけではないですよね。そういうものを多数組み合わせて機能を実現しているので、初期設計ですべてNGがないように抑えていくことは容易ではありません。
だから、インフォテイメントの場合は、実際にはソフトをつくって早く確認していく、スピードをあげて回していくという作業が必要で、そういう点が制御系の開発との違いでもありました。
 

SDVの可能性

ー 今回名古屋で開催される「オートモーティブワールド展」では、「SDV時代の車開発」というテーマでご講演いただく予定ですが、現在もSDVが実現することでクルマの価値が変わるということがさまざまなメディアで言及されていますよね。そこで SDVによって、今後クルマの価値がどう変わっていくのか、また今後どういった価値が提供されるようになるのかについてご意見をお聞かせください。

久木:「SDVってなんだ?」というのは、いろいろなところで議論されていて、いろいろな意見があって定まったものはないとは思うんですが、一番大きい違いはクルマの中にとどまらず、クラウド側とクルマ側が一体となっていろいろな機能を追加していくことができるという点だと思うんですね。
それは今のクルマでもできるんですが、たとえばインフォテイメントシステムの地図でいうと、昔はクルマの中にハードディスクがありましたが、今はサーバー側に地図があって、最新の渋滞状態もリアルタイムでわかり、それによって経路検索や到着時間の推定も飛躍的に精度が上がっていますよね。あと音声認識も、Siriやアレクサみたいに、自然言語でもかなりの精度で認識できるようになってきました。
これらは現在も特定のドメインごとの機能として部分的には実現できているんですが、クルマ全体にそれを広げていこうとすると、開発スピードがなかなかあげられないという課題があります。そこをSDV化することでソフトウェアの開発スピードを飛躍的にあげて、お客様に新しい価値をどんどん提供できるようになるということなので、そこがSDVの価値なのかなと思っています。

SDVの課題ー「仮想化技術」「標準化」「開発プロセスの進化」

ー なるほど。では、SDVの実現に向けて技術的な課題はどのようなところにありますか。

久木:大きく3つあると思うんですが、1つ目は「仮想化技術」、2つ目は「標準化」、3つ目が「ソフトウェア開発プロセスの進化」だと思っています。

ー 仮想化技術というのは、シミュレーションみたいな?

久木:そうですね。ソフトウェアのシミュレーションです。ソフトウェアのリリースを頻繁にしようとすると、当然変えたところの確認をするのはもちろん、変えていないところが今まで通りきちんと動くかどうかも確認しないといけないんですね。それを毎回実車を使って行なうとなると容易ではありませんが、仮想環境であれば1,000台とか10,000台のクルマで確認することもできますよね。そういうところが重要になってくると思っています。

ー なるほど。では2つ目の「標準化」はどういった内容でしょうか。

久木:クラウドと繋がっていろいろな機能を実現しようとした時に、そのすべてをホンダだけで実現するのではなくいろいろな会社と連携して協力しながら開発する必要があると思っています。だからインターフェースや開発の仕組みのような非競争領域は、なるべく標準的なものを使っていくべきだと思います。それが「標準化」ですね。

ー なるほど。他社と協調していく領域の標準化が今後の課題ということですね。
続いて「ソフトウェア開発プロセスの進化」についてもご説明いただけますか。

久木:「ソフトウェア開発プロセスの進化」と言いましたが、実はソフトウェアだけではないですね。
うちの会社を例にとると、製品開発の仕組みが非常にハードウェア開発に最適化されている状態なんですね。
たとえば30年前は、ハードの開発よりもソフトの開発の方が期間が短かったので、図面を出して型をつくってモノができてくる間にソフトの開発はできてしまっていたんです。でも、だんだんソフトの開発の方が長くなってきているのが現実で、今後大規模になっていくと、ソフトの開発には終わりが無いということを前提に、ハードとソフトを分離して開発できるようになっていないといけないと思っています。そのように開発の仕組みを進化させていく必要があるということですね。

ー ソフトの開発にあたって、今後は生成AIにコードを作らせるなども考えていらっしゃるのでしょうか。

久木:そうですね。今は簡単なプログラムであれば生成AIがつくってくれるようになるというので取り入れていく検討はしていますが、まだ最後は人が確認しないといけない段階だと考えています。

ー やはり生成AIにはまだまだ課題も多いようですね。
今挙げていただいた3つの課題に対して御社が取り組まれていることがあればお聞かせください。

久木:まずソフトウェアのシミュレーションの環境の整備というのは当然行なっています。あと標準化でいうと、非競争領域の部分では他社さんと一緒になって標準化技術を積極的に採用することにも取り組んでいます。また開発プロセスは、ハードウェアと一緒に開発しなければいけない部分とそうでない部分とを切り分けて、うまく製品開発を流していく仕組みを議論して決めている段階ですね。

ー 着々と進んでいるのですね。
 

オートモーティブワールド展の講演にあたって

ー では最後に、来月ご講演いただく名古屋オートモーティブワールドでのご講演について、どのような方に聴いてほしいなどがありましたらお聞かせください。

久木:そうですね、最近はソフトウェアの開発が重要だと言われていますが、なかなか現実的にはソフトウェア開発人材に入社していただけるような環境にはなっていないので、できれば今後の自動車業界はソフトの開発が非常に重要になってきているということを皆さんに知っていただきたいという想いがあります。だから、特定の方というよりは、ぜひ多くの方に講演を聴いていただき、仲間になっていただきたいなと思っております。

ー ありがとうございます。ご講演も楽しみにしております。
 

[名古屋] オートモーティブ ワールド基調講演
ソフトウェア・ディファインド・ビークルの開発最前線 「SDV時代の車開発」

日時:2023年10月27日(金)10:00 ~11:10

講師:本田技研工業(株)BEV開発センター ソフトウェアデファインドモビリティー開発統括部
   電子プラットフォーム開発部 部長 エグゼクティブチーフエンジニア

   久木 隆 氏

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